子供たちと働いていると、どうしてもほかの子供たちよりも自分にとってとても大切な子に出会う。
別にかわいいから、とか、いい子だから、とかいうわけではなく、なぜか自分とうまくコネクトする瞬間があるんだ。
私にもそれが起きた。
それが、クリスチャン。
クリスについては過去にも何回も書いたことがある。
それだけ私にとって彼は特別な存在だったんだ。
そして彼が施設から出てしまったって聞いた時本当に悲しかった。
自分にできることが何かあったんではないか、って考えたりしてね。
3年前にメキシコから帰ってきてから1度も聴くことが出来なかった曲があるんだ。
"大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計"
って、いつもクリスと歌ってた。
日本語を教えて、っていつも言ってきたから。
でも、クリスがいなくなったってニュースを聞いてから、悲しすぎて、どうしてもこの歌を聴くことが出来なかったんだ。
私にとってこの思い出は、思い出してはいけないものだったんだよね。
子供たちも、スタッフのひとたちも私がどれだけクリスのことを大切にしてたか知ってて、
今回イポデラックに行った際にこう聞かれたんだ。
"そのみ,クリスに会いたいかい? 家の場所は知っている、本当に会いたいなら、会いに行こう"
行きたい!って心の底から思ったのと同じくらい、
会いたくない、って思った。
変わってしまったクリスに会いたくないから。
でも、もちろん、会いに行かなきゃ。
だって、この3年間常に気にかけてきたことだったし、今回イポデラックに帰ってきたときも、頭のどこかで、
クリスに会えるんじゃないかな、って思ったりもしてたから。
スタッフの人に、けばけばしいペンキが塗ってあるドアが並ぶ道に連れていってもらって、
その一つをたたいた。
何回も何回も。
でも、返事がなくて、申し訳なさそうに、ドアをたたき続けるスタッフの人に、
「うん、いないね、運が悪かったね。しょうがない。帰ろう! 連れてきてありがとうね」
って笑いながら伝えたんだ。
80%の悲しみ、20%の安堵感。
施設に戻ったときに、3年前から知っている子、ハビエルが話しかけてきた。
「ヤツに会えた?」
「いや、家に誰もいなくて、会えなかったよ」
「ふーん、あいつ、いつも町にいるよ、明日もいるんじゃないの」
ってそっけなく言ってくるハビ。やつのさりげない優しさがうれしくて、
「クッキー、食べる?」って差し出しながら、そういえば、先週誕生日だったね、どうだった? いくつになったんだっけ? 3年前のこと、覚えてる? 今年もケーキ作ったの? 最近、家に帰ってる? お兄ちゃん、いくつなんだっけ?
なんて、雑談をしながら、気を紛らわせてね。
翌日、El Grito。1年に一度の国の大イベントに、「大きな子たち」と共に、町に出る。
学校の友達と、夜の町に消えていく子供たちを見送った後、ボランティア仲間、スタッフと一緒に、
「腹ごしらえでもしようか」なんて、行きつけのトルタ屋に向かう。
老若男女、皆うれしそうに、食べ物片手に歩いている合間を抜けながら、
時々露天に目を向けて、施設にきてまだ一週間目だというボランティア仲間の質問に答えているとき、ハビが駆け寄ってきた。
「そのみ、チト(クリス)に会った?」
「ん? 会ってないよ、いるの?」
「vente, ahi esta (来いよ、そこにいるじゃん)」
はぐれないように、ハビの腕につかまりながら、進んでいった先に見えた男の子にまずハビが最初に挨拶する。
男らしく、パチンと音を立てながらの握手、そしてそのあと拳と拳をコツンってさせてね。
クリスがこっちに振り向いた時に、言った。
"Ey, Christian, como andas?" (よ、クリス、調子どう?)
「そのみ!! 何してるだよ??」
びっくりしながら近づいてくるクリス。
それは、3年前に比べて20センチも背が高くなって、
ヘアスタイルもジェルでばっちり決めて、
肩幅も、胸もずっと広くなって。
でも、クリスだった。
元気してた?
びっくりした?
イポの子供たちとクリスのことが気になって戻ってきちゃった。
でも戻ってくるって言ったよね。
イバン(クリスのお兄ちゃん)にもう会った? 町にいるはずだよ。
小学校卒業したらしいね、おめでとう。
少年院入ってたらしいじゃん、なにしでかしたの??
話すことはたくさんあるすぎる。でも、それは3年間頭に描いていたような再会ではまったくなくて、普通の雑談だったんだ。
そんな雑談中の私たちに、クリスの友達だという人が私に自己紹介した後、クリスにタバコを差し出した。
受け取りながらも、「これは、僕のじゃない」って言いながら、耳に乗せるクリス。
私の前ではタバコすわないんだね、
私を悲しませないようにする、そういう優しさが嬉しかった。
気づけば、他のボランティアやスタッフとはぐれてしまった私に、
「一緒に探すよ」って。
そのみに教わった日本語、もう忘れちゃったよ。
ノートもなくしちゃったし。
とか言いながらも、時々、
ありがとうってどういう意味だっけ?
さよならってなんだっけ?
おかあさんってママって意味だよね? 他の家族の呼び方、なんだっけ?
そういえば、歌もうたったよね・・・
と、くちずさみ始めたメロディーは、大きな古時計のサビ。
ごめんね、クリス、CD持ってくるつもりだったんだけど、忘れちゃった。
そのみー、だめじゃん。
と口を尖らしながらも、
じゃぁ、今度だね。
と言ってくれた。
無事、私の仲間と再会が出来た時、に聞かれた。
いつ帰るの?と。
明日だよ。明日の10時。
わかった、じゃぁ、明日の10時に、見送りに行くよ。10時に会うからね。これが最後じゃないよ。
うん、じゃぁまた明日、10時にね。ちゃんと10時に来てね、
と言いながらギュッとしたクリスは、昔に比べてずっとずっと大きくて、
嗅ぎ馴れた子供の匂いの代わりに、ヘアジェルの匂いがツンとした。
もちろん、私は、クリスが見送りに来るとは思っていなかったし、期待もしていなかった。
彼なりのお別れの仕方なんだ。
悲しみを和らげるための、ね。
夜、施設に戻って、ぼーっとしていた私にスタッフが話しかけてきた。
どうした? そのみは、今どう感じている?
わからない。今、自分が嬉しいのか、悲しいのか、全然わからないんだ。
あのね、そのみ、 と話し始めるスタッフ。
あのね、そのみ、そういうことは、この仕事では、よく起きるんだ。僕も何回も経験している。ただ、重要なのは、自分の責任だ、なんて思わないこと。そのみはそのみが出来る限りのことをした結果が今のクリスなんだよ。
クリス自身の人生で、彼の意思を尊重してあげなくちゃいけないんだ。わかる?
そうか、そうだよね。私の物差で、彼が今幸せなのか、不幸なのか、彼の人生が「良い」ものなのか「悪い」ものなのか、決めちゃいけないんだね。
わかったよ、ラウル、私は今、嬉しいんだ。すごく嬉しいんだ。クリスに会えたこと、とても嬉しいんだ。
その感情に気づいた時、私は大声をあげたくなるほど、嬉しかったんだ。
私に出会ったことで、私が今回戻ったことで、彼の人生が変わったとは思わないし、これからも変わるとは思わない。でもね、これからも機会があれば彼を探し続けると思うんだ。
それは、彼のためではなくて、私が私であるために、クリスという存在を感じることがとても必要なんだな、って実感したから。
たぶんね、なんでこんなにも執着しているんだろう、って周りには思われてしまうんだろうな、って思っている。
だって、現に、とても執着しているもん。
でもね、私にとって、イポデラックはとても大切なもので、そして、イポデラックは同時にクリスチャンでもあったんだ。だから、クリスは私にとってとても大切な人。
翌日、予定よりちょっと遅めの11時に私がイポデラックを去るとき、誰も見送りにはこなかった。もちろん、クリスも。
でも、悲しくないよ、だって、今回、私は3年前にここに置いてきぼりにしてしまった心のかけらを拾ってきたんだもん。
3年間バラバラだった心がやっと一つになった気がしたんだ。
相変わらず、悲しみはあるけれども、それは、すべて納得した上での悲しみであって、今までとはまったく違うものだったんだ。
たぶんね、今は、大きな古時計を聞くことが出来る気がする。
悲しい思い出として聞くのではなくて、嬉しい思い出、胸のワクワクする思い出として、ね。
そんな感じだったんです。
別にかわいいから、とか、いい子だから、とかいうわけではなく、なぜか自分とうまくコネクトする瞬間があるんだ。
私にもそれが起きた。
それが、クリスチャン。
クリスについては過去にも何回も書いたことがある。
それだけ私にとって彼は特別な存在だったんだ。
そして彼が施設から出てしまったって聞いた時本当に悲しかった。
自分にできることが何かあったんではないか、って考えたりしてね。
3年前にメキシコから帰ってきてから1度も聴くことが出来なかった曲があるんだ。
"大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計"
って、いつもクリスと歌ってた。
日本語を教えて、っていつも言ってきたから。
でも、クリスがいなくなったってニュースを聞いてから、悲しすぎて、どうしてもこの歌を聴くことが出来なかったんだ。
私にとってこの思い出は、思い出してはいけないものだったんだよね。
子供たちも、スタッフのひとたちも私がどれだけクリスのことを大切にしてたか知ってて、
今回イポデラックに行った際にこう聞かれたんだ。
"そのみ,クリスに会いたいかい? 家の場所は知っている、本当に会いたいなら、会いに行こう"
行きたい!って心の底から思ったのと同じくらい、
会いたくない、って思った。
変わってしまったクリスに会いたくないから。
でも、もちろん、会いに行かなきゃ。
だって、この3年間常に気にかけてきたことだったし、今回イポデラックに帰ってきたときも、頭のどこかで、
クリスに会えるんじゃないかな、って思ったりもしてたから。
スタッフの人に、けばけばしいペンキが塗ってあるドアが並ぶ道に連れていってもらって、
その一つをたたいた。
何回も何回も。
でも、返事がなくて、申し訳なさそうに、ドアをたたき続けるスタッフの人に、
「うん、いないね、運が悪かったね。しょうがない。帰ろう! 連れてきてありがとうね」
って笑いながら伝えたんだ。
80%の悲しみ、20%の安堵感。
施設に戻ったときに、3年前から知っている子、ハビエルが話しかけてきた。
「ヤツに会えた?」
「いや、家に誰もいなくて、会えなかったよ」
「ふーん、あいつ、いつも町にいるよ、明日もいるんじゃないの」
ってそっけなく言ってくるハビ。やつのさりげない優しさがうれしくて、
「クッキー、食べる?」って差し出しながら、そういえば、先週誕生日だったね、どうだった? いくつになったんだっけ? 3年前のこと、覚えてる? 今年もケーキ作ったの? 最近、家に帰ってる? お兄ちゃん、いくつなんだっけ?
なんて、雑談をしながら、気を紛らわせてね。
翌日、El Grito。1年に一度の国の大イベントに、「大きな子たち」と共に、町に出る。
学校の友達と、夜の町に消えていく子供たちを見送った後、ボランティア仲間、スタッフと一緒に、
「腹ごしらえでもしようか」なんて、行きつけのトルタ屋に向かう。
老若男女、皆うれしそうに、食べ物片手に歩いている合間を抜けながら、
時々露天に目を向けて、施設にきてまだ一週間目だというボランティア仲間の質問に答えているとき、ハビが駆け寄ってきた。
「そのみ、チト(クリス)に会った?」
「ん? 会ってないよ、いるの?」
「vente, ahi esta (来いよ、そこにいるじゃん)」
はぐれないように、ハビの腕につかまりながら、進んでいった先に見えた男の子にまずハビが最初に挨拶する。
男らしく、パチンと音を立てながらの握手、そしてそのあと拳と拳をコツンってさせてね。
クリスがこっちに振り向いた時に、言った。
"Ey, Christian, como andas?" (よ、クリス、調子どう?)
「そのみ!! 何してるだよ??」
びっくりしながら近づいてくるクリス。
それは、3年前に比べて20センチも背が高くなって、
ヘアスタイルもジェルでばっちり決めて、
肩幅も、胸もずっと広くなって。
でも、クリスだった。
元気してた?
びっくりした?
イポの子供たちとクリスのことが気になって戻ってきちゃった。
でも戻ってくるって言ったよね。
イバン(クリスのお兄ちゃん)にもう会った? 町にいるはずだよ。
小学校卒業したらしいね、おめでとう。
少年院入ってたらしいじゃん、なにしでかしたの??
話すことはたくさんあるすぎる。でも、それは3年間頭に描いていたような再会ではまったくなくて、普通の雑談だったんだ。
そんな雑談中の私たちに、クリスの友達だという人が私に自己紹介した後、クリスにタバコを差し出した。
受け取りながらも、「これは、僕のじゃない」って言いながら、耳に乗せるクリス。
私の前ではタバコすわないんだね、
私を悲しませないようにする、そういう優しさが嬉しかった。
気づけば、他のボランティアやスタッフとはぐれてしまった私に、
「一緒に探すよ」って。
そのみに教わった日本語、もう忘れちゃったよ。
ノートもなくしちゃったし。
とか言いながらも、時々、
ありがとうってどういう意味だっけ?
さよならってなんだっけ?
おかあさんってママって意味だよね? 他の家族の呼び方、なんだっけ?
そういえば、歌もうたったよね・・・
と、くちずさみ始めたメロディーは、大きな古時計のサビ。
ごめんね、クリス、CD持ってくるつもりだったんだけど、忘れちゃった。
そのみー、だめじゃん。
と口を尖らしながらも、
じゃぁ、今度だね。
と言ってくれた。
無事、私の仲間と再会が出来た時、に聞かれた。
いつ帰るの?と。
明日だよ。明日の10時。
わかった、じゃぁ、明日の10時に、見送りに行くよ。10時に会うからね。これが最後じゃないよ。
うん、じゃぁまた明日、10時にね。ちゃんと10時に来てね、
と言いながらギュッとしたクリスは、昔に比べてずっとずっと大きくて、
嗅ぎ馴れた子供の匂いの代わりに、ヘアジェルの匂いがツンとした。
もちろん、私は、クリスが見送りに来るとは思っていなかったし、期待もしていなかった。
彼なりのお別れの仕方なんだ。
悲しみを和らげるための、ね。
夜、施設に戻って、ぼーっとしていた私にスタッフが話しかけてきた。
どうした? そのみは、今どう感じている?
わからない。今、自分が嬉しいのか、悲しいのか、全然わからないんだ。
あのね、そのみ、 と話し始めるスタッフ。
あのね、そのみ、そういうことは、この仕事では、よく起きるんだ。僕も何回も経験している。ただ、重要なのは、自分の責任だ、なんて思わないこと。そのみはそのみが出来る限りのことをした結果が今のクリスなんだよ。
クリス自身の人生で、彼の意思を尊重してあげなくちゃいけないんだ。わかる?
そうか、そうだよね。私の物差で、彼が今幸せなのか、不幸なのか、彼の人生が「良い」ものなのか「悪い」ものなのか、決めちゃいけないんだね。
わかったよ、ラウル、私は今、嬉しいんだ。すごく嬉しいんだ。クリスに会えたこと、とても嬉しいんだ。
その感情に気づいた時、私は大声をあげたくなるほど、嬉しかったんだ。
私に出会ったことで、私が今回戻ったことで、彼の人生が変わったとは思わないし、これからも変わるとは思わない。でもね、これからも機会があれば彼を探し続けると思うんだ。
それは、彼のためではなくて、私が私であるために、クリスという存在を感じることがとても必要なんだな、って実感したから。
たぶんね、なんでこんなにも執着しているんだろう、って周りには思われてしまうんだろうな、って思っている。
だって、現に、とても執着しているもん。
でもね、私にとって、イポデラックはとても大切なもので、そして、イポデラックは同時にクリスチャンでもあったんだ。だから、クリスは私にとってとても大切な人。
翌日、予定よりちょっと遅めの11時に私がイポデラックを去るとき、誰も見送りにはこなかった。もちろん、クリスも。
でも、悲しくないよ、だって、今回、私は3年前にここに置いてきぼりにしてしまった心のかけらを拾ってきたんだもん。
3年間バラバラだった心がやっと一つになった気がしたんだ。
相変わらず、悲しみはあるけれども、それは、すべて納得した上での悲しみであって、今までとはまったく違うものだったんだ。
たぶんね、今は、大きな古時計を聞くことが出来る気がする。
悲しい思い出として聞くのではなくて、嬉しい思い出、胸のワクワクする思い出として、ね。
そんな感じだったんです。
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